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独り語りみたいな経歴

2006年05月23日 / 火曜日 / PM 2:22

「先生はいろんな経歴がおありですねぇ。それでご専門は何科なんですか?」と聞かれ、答えに困ってます。
心のなかでは(「なんでもよ科」ですぅ・・)と九州弁でつぶやいていますけどね。

何科の医者になろうかと考えてたとき、やっぱり、専門は専門で持ってて、でも全分野が診れる医者になりたいと思い、長崎大学医学部付属病院の内科に入局しました。でも内科だけでは身体の中のことがわからないから、研修医を終えてから病理の大学院にすすみ、大学院では病理解剖とか顕微鏡での病理診断とかをやってて、すごく唯物的なマクロの世界にどっぷり漬ってました。でも大学院の間に臨床の腕が落ちないように、月に2回、土曜から月曜の朝までの2泊3日、救急専門病院で当直をしてたんです。

大学院を修了して、医局のグループにフィックスするときに、消化器・肝臓グループを選びました。私の出身医局は呼吸器感染症がメインで、肺癌、間質性肺疾患グループと呼吸器班が半数を占めてたけど、そのほかにも消化器(消化管&肝臓)、腎臓、循環器のグループがあったんです。肝臓班を選んだのは、一番小さなグループだったし、肺癌グループと共同研究が出来たから。その頃は、大学院が終わったばかりで実験が面白くて、いろんな文献を読みあさったし、分野に捕らわれずにいろんな手法を取り入れたりしてたから、4〜5人の大学院生の指導を受け持ってました。不思議なことに、この頃の私は、コワイ先生と思われていたようです。。。。(^^;)

大学付属病院で2年間医員として勤務した後、県内の中核病院(佐世保市立総合病院)に移動になりました。この頃、ルアー・フィッシングにハマってて、海の近い五島か、四国の病院を希望したんだけど却下されて、佐世保総合病院になってしまったんです。
そこで出会ったのが、私が親分と仰ぐ臨床の師。佐世保総合病院に赴任する前に、コワイ先生がいるからと散々脅かされたのが、親分のことだったんですよねぇ。一見、気難しくて、臨床に対しては妥協を許さなかったから、コワイ先生と思われていたらしいんです。でも私とはすごくウマが合って、勤務を抜け出して釣りに行くのを許してくれたり、本当に家族のように接してくれました。
今でも座右の銘にしてるのは「患者さんを家族と思え!」という親分の言葉。

ちょっと脱線してしまいました。(^^;)
佐世保総合病院の勤務時代に、留学の話が出たんです。たぶん肝臓班の次期担い手として、箔をつけさせようという教授のもくろみだったようです。留学先の候補に挙がったのは、ルポイド肝炎を提唱したメルボルンのモナッシュ大学のDr.マッカイのところか、若手で台頭しつつあったカリフォルニア・デーヴィスのDr.ガーシュウィンのところ。ずいぶん迷ったけど、この先の人生で南半球に行く亊なんてないよな・・・という理由でオーストラリアを選んだんです。それに早く医局という組織を離れたかったし、オーストラリアに棲息するルアー・アングラー垂涎の的である神の魚とも呼ばれるバラマンディも釣ってみたかったし。。。。

実際メルボルンに住んでみると、自然は豊かだし、実験はノンビリしてるし。研究は自己免疫疾患の抗体が認識するタンパク質のエピトープの立体構造を解明するってことだったのですが、いろんな意味で本当に最高の環境でした。でも年に2〜3回廻ってくる研究発表会の時は、2週間くらい前からデータを整理して、英語で読み原稿を書いて、ほとんど徹夜状態。それでもあの時の2年間は、貴重な時間でした。
休みの日には、ペンギンパレードで有名なフィリップ島まで車を飛ばして、ぼんやり海を見てたり、クリスマスホリディ(クリスマスから1月一杯くらいまで期間未定)には、旅行をしたり、チベット密教のリトリートに参加したり。もちろん、バラマンディも釣りに行きました。ケアンズの北1時間ほどのところにあるデイントゥリー河でボートをチャーターして。途中、ワニと遭遇したりしてスリリングだったんですよ。

オーストラリアから帰って来たくなかったんだけど、向こうで仕事を続けるにはグラントっていう補助金を取らなくちゃいけないし、それも私の性に合わないなーって思ったから、帰国して離島医療に携わることにしたんです。
撰んだ勤務地は五島列島の最北端の宇久島。小学生が牛を連れて学校に行き、学校の前の放牧場に放して、夕方、終業のチャイムが鳴ると、牛が放牧場の門のところに集まってきて、また一緒に帰るっていう長崎物語というバウムクーヘンのお菓子のCMで放映されたのどかな島でした。本土からフェリーで3時間、高速艇で1時間半のまるっきりドクター・コトーの世界。(五島とコトーのシャレではないので、念のため・・・(-_-;))。海が荒れてフェリーが欠航すると、漁師さんの漁船で本土まで救急搬送したり、自衛隊にヘリコプターの出動を要請したり。。。
だけど、閉鎖された空間だから、人間関係がタイトでちょっと大変で、嫌なこともありました。そんなところで、ある患者さんの死を看取ったのをきっかけに、福岡にあるホスピスに移ったんです。

福岡にあるその病院は、キリスト教(プロテスタント)を母胎として、「日本死の臨床研究会」でもかなり有名な病院でした。でも、正直、失望しちゃいました。ホスピス長でもある副院長とお会いして、これまで私自身が医療や医者という看板の陰に隠れて、人間として本当に死に逝く人と向き合ったことがなかったっていう話をしたとき、「弱いだけではダメです。信仰で強くならなければ。」と言われたんです。
だけど学会や研究会で発表されるケースの影に、その数倍の人が、結局、誰からも心をケアしてもらえずにホスピスで亡くなっていくのを目にしてました。信仰を持ちさえすれば人の心が救われるのか?それは、痛み止めという対症療法に過ぎないのじゃないのか!人が死ぬってそんなもんじゃない!誰も心のケアをしてない!って感じたんです。ペイン・コントロールなら、これまでの内科臨床の知識でかなりの程度出来たし、実際、やってきた。そうではなくて、ホスピスでは死に赴く人にどう接しているのか?を学びたかったんです。
ちょうどその頃に鬱になっちゃって、抗鬱剤を飲みながら仕事を続けて、ちょうどいい機会だから精神科の病院に移り、心理学の勉強を始めたんです。

福岡の精神科の病院は、すごく居心地が良かったんですよ。院長は一つ違いで話も合うし、他のドクターとも和気藹々で好きなようにやらせてくれたし。病院経営のノウハウを学んだのもここだったし、心理学の勉強のために月に2回くらい上京してて、たまたま組んだ整体師兼ヒーラーの人から教わったハーフ・ムーンを多用してたのも、この病院でした。だけど次第に東京と福岡を往復するのに疲れてきて、思い切って上京して首都圏でやってみようと決心したんです。

上京して最初に務めたのは、横浜の精神科の病院でした。古いタイプの精神科の単科病院で、何十年も入院している患者さんばかりでした。そこでは、私が得意とする身体の領域を扱えなかったんです。というか身体疾患に対して看護婦さん達が「ここでは診れません!」って拒絶反応を示されたから。
私一人なら、このくらいの身体疾患なら治療可能なのに、看護スタッフの協力が得られない・・・・・。羽をもがれた飛べない鳥と同じでした。どっぷりと失望して、お年寄り専門の介護療養型の病院に移ったんです。痴呆病棟を担当して、ここなら精神科、心療内科、内科という心と身体のクロストークを軸に、死に向き合えるかな?と思ってました。

 確かに、亡くなる患者さんと家族と一緒になって、患者さんを誘導してあげられるという充実感はあったんだけど、残念なことに、ここの病院自体が看護と介護の違いすらわかってなかったし、看護婦さんのレベルもバラバラで、患者さんと私の間で心のキャッチボールをしてるときに、いきなり看護婦さんがバッターとして登場してボールを打ってしまう・・・そんな脱力感に襲われたこともしばしばでした。

患者さんと私との間に人が介入せず一対一で向き合えるやり方を模索しつつ、訪問医療に就くことにしました。ちょうどその頃、心理のスーパーバイザーからら「そろそろ開業したら?」っていうプッシュもあって、いまのクリニックのの継承の話を聞いたところが、オーナーが訪問医療をやってるクリニックの理事長だったっていう奇遇もあって、クリニックを引き継ぐことになったんです。

心療内科・精神科・内科なんて看板を掲げてるけど、結局、人と人が出会うことを大事にしたいし、来てくれる人が心安くなっていただけるなら、医療という枠に捕らわれるつもりはないと考えているので、「セラピールーム游」を併設したんです。
カウンセリングとかサイコセラピーもやるけど、心のもっと深い領域から湧き上がるイマジネーションの自律性を大切にしたいから、ちょっとスピリチュアル・カウンセラーの江原さんっぽいこともやってます。霊能者じゃないんですけどね。でも、心に抵抗があるときは身体(チャンネル)からアプローチするっていう手法は使ってますけど、技法自体を使っている訳じゃありません。むしろ、なんだろ?自分の自然な瞑想状態の中から生まれてくるモノを相手と共有したいっていう感じなのかもしれない。

そのうちに、「セラピールーム游」のウェブサイトを立ち上げますので、お楽しみに♪

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